「生産システムの進化論」では“ものづくり企業”の業務の流れを「情報の流れ(情報システム)」と抽象化した「設計情報転写論」と、「事後的合理性という進化論的な発想」をベースにトヨタを分析しました。その結果、「トヨタは”怪我の功名“で進化した」と論じる藤本隆宏教授。
気になる「トヨタ生産システム」と「設計情報転写論」との親和性
このような結論につながる説明の中で、少々気になることがあります。それは、「設計情報転写論」と「トヨタ生産システム(以下、TPS)」とは奇妙な親和性があるように感じられることです。藤本教授の “ものづくり改善ネットワーク”、講演、動画、メディアなどでは、多くの場合、トヨタの “はなし” と「設計情報転写論」の “はなし” が同時に出てくることから、そう感じてしまうわけです。具体的な例としては「ものと情報の流れ図」の説明かな。TPSを「設計情報転写論」で説明しているようにもみえます。
どんなところが親和的なのか。先ず気が付くことは、TPSの生産リードタイムの短さを、例えばトヨタの正味作業時間に対する生産リードタイムの比率が、一般企業のそれの1/10だということを「設計情報転写論」で説明しているように感じることです。TPSではジャストインタイムで流れますので、工程間の待ち時間が短い(仕掛が少ない)のでそうなるわけですが、それを「設計情報転写論」で “サラッと説明” している。TPSも「設計情報転写論」も流れを良くすることを重視している、からなのでしょうか。
もう一つ。生産ラインの特性を簡単な式で計算できること。TPSでは、例えば、必要工数の計算は、各工程の必要工数の総計、それに工程間の仕掛数(かんばん方式や手持ち数)の滞留時間や運搬時間を加えて生産リードタイムが計算できます。「設計情報転写論」でも似たような説明をします。どちらも、製造現場のほとんどの管理項目を簡単な四則演算で計算できます。わかりにくい指数関数的なカーブがでてくる式はありません。すべて直線で表すことができる線形モデルです。これは生産現場で働く管理者、作業者にとっては、すごくわかりやすい。計画も理解しやすく、計画からのズレも、その修正方法もわかりやすい。
TPSの生産現場がシンプルで管理しやすいことは、TPSの解説書を読めば明らかです。そしてトヨタの実績、業績がそのことを裏打ちしているようにも感じます。トヨタを模範にすることが現実的で世の同意も得られやすいことは確かです。「設計情報転写論」も “シンプルさ” で共通しているようにみえます。
藤本教授は、トヨタ関係者への聞き取りや資料の収集など、トヨタの研究にはかなり注力していたようです。トヨタは特別な企業である、という認識はあったのでしょう。そのトヨタが「生産システムの進化論」の恰好の研究対象となったことはうなずけます。TPSを調査・分析する過程で「設計情報転写論」とTPSの親和性が形成されていったのでしょう。
TPSの解説書は世にあふれていますが、ジャストインタイムとは、かんばん方式とは、平準化とは、、、と “取説的” な内容が大部分。そこに「設計情報転写論」をベースにした「事後的合理性という進化論的な発想」でトヨタを論じれば、ある種の ”普遍性や理論的な美しさ” も醸し出され、学者・研究者が求める “新奇性” も打ち出すことができます。
親和性といいますと、もう一つ、あります。それは「生産システムの進化論」の主要な分析的視点である「事後的合理性という進化論的な発想」(以降、事後合理的進化論)と「設計情報転写論」との親和性です。「事後合理性」と「設計情報転写論」との親和性をみておきます。
前回、「設計情報転写論」では「情報システム」としては不可欠な「モノの側面」を捨象(無視)したことで、それを物理的制約が支配する製造現場で使うことができなくなったことを指摘しました。これは、事前に調べれば簡単に分かることですが、気が付かなかったのか、わからなかったのか、定かではありませんが、結局は、事前合理的判断をしなかったことは確かでしょう。
ということは・・・「設計情報転写論」は結果的に「事後合理的判断」で構成された“論”だ、ということになります。持論の「事後合理的進化論」と「設計情報転写論」との親和性を感じられるのは、そのようなこともあるのかな、、。いや、思いのほか、重要な視点かもしれません。
「事後合理的進化論」とはどのような概念か
「生産システムの進化論」では、具体的には「トヨタ生産システム(TPS)」を「事後合理的進化論」で分析し、「トヨタは”怪我の功名“で進化した」との結論で結んでいます。
「事後合理的進化論」とは、どのような概念なのか。 ・・・と考える前に、「事前合理的進化論」という概念をチェックしておきます。進化論といえばダーウィンの生物進化論。それが社会システムにも応用されるようになり、さらに生産システムという分野の中のトヨタ1企業を分析対象にしたのが「生産システムの進化論」。
生物進化論では、事前に何らかの意図があって進化した、という考え方はありません。事前合理性は完全に排除されます。しかし人間がかかわる社会システムに適用されるようになると、事前合理性を完全に排除することは難しくなります。進化論的発想をトヨタの分析に適用するとき、藤本教授も「事前合理性」の取り扱いに多少の“お迷い”があったようです。
「必ずしも事前合理性を前提にしない事後的合理性という進化論的な発想」
とは、“考慮はするけれども前提にはしませんよ”、といいたいのでしょうか。「事前合理性」に対しては“あいまいな態度”をとっています。
事後合理性とは?
事後合理性とは、“物事が起きた後”になってから、その結果に合うような理由づけをすること、です。
“物事が起きた後”とは、トヨタ生産システムの基盤が出来上がった1970年代以降。1973年のオイルショックでトヨタの存在が認識され始めました。藤本教授が分析対象としたのは“戦後のトヨタ”。実際、「トヨタの実態」を調べたのが1980年代~1990年代中頃。
つまり、事前合理性は前提にしないで、
現在の「トヨタの実態」に合う理由づけを考えた。
その結果、「トヨタは”怪我の功名“で進化した」、と・・・これは正に、事後合理的な結論である、と言えるのではないでしょうか。
事後合理性と人類の “切っても切れない” 関係
技術・生産管理のプロセス分析を専門とする東京大学の藤本隆宏教授著「生産システムの進化論」の結論が「トヨタは”怪我の功名“で進化した」のだ、と。分析の論理的枠組みも支離滅裂。箸にも棒にもかからない進化論なんですが、実は、これを一笑に付すわけにもいかない側面がありまして、、、。
「生産システムの進化論」が発刊されたのが1997年。その後、藤本教授は「設計情報転写論」や「トヨタ生産システム」をベースにした独自の技術・生産管理論で一世の注目を集めるようになりました。そして現在も “ものづくり改善ネットワーク” や 講演、メディア での発信を続け、ご健在です。
どうみても“物理的制約”を無視した「技術・生産管理論」で有効な現場改善ができるはずもなく、そんな妄論が30年余り存在し続けている状況をどのようにみればいいのか。存在し続ける理由があるはずだ、と考えざるを得ません。つまり、事後合理性にはそれなりの説得力とか共感力があるのではないのか。ということで、調べてみることに、、。
事後合理性とは?
事後合理性については、いろいろな学問分野で取り上げられています。いくつか挙げてみます。
- 進化心理学;
人間が生き延びるためには、環境の中で「原因と結果」を素早く結びつける能力が重要だったと考えられている。たとえば、「音がした → 捕食者がいるかも」と推論することで、危険を回避できた。「進化的適応としての認知バイアス」は、脳が長い進化の過程で生き延びるために身につけた“思考のクセ”である。
- 認知科学・心理学;
人間は「意味づけ」や「物語化」を通じて世界を理解しようとする傾向がある。Daniel Kahneman の『ファスト&スロー』では、直感的思考がいかに物語を作りがちか、が語られてる。
- 神経科学;
脳の前頭前野や帯状回などが「因果関係の推論」や「意味づけ」に関与していることが示されている。脳は“意味のない出来事”にもパターンを見出そうとする性質がある。
- 文化人類学・宗教学;
世界中の神話や宗教、民話に共通するのは、「なぜこうなったのか?」という問いに対する物語的な答え。これは人間が文化的に“理由づけ”を求める存在であることを示している。
簡単にまとめますと、
生物個体の生存に関する視点
・因果関係を見つける、意味づけする、物語化する能力は危険回避に役立つ
・自分の行動を正当化することで心理的安定を保てる
・自分の信じていることを裏付ける情報ばかり集めて、反対の情報を無視する認知バイアスも自己正当化に役立つ
集団維持の視点
・社会的な説明能力は協力や信頼形成に必要である
・神話、民話、宗教などで価値観を共有することは集団の発展・維持に必要である
となります。ここで、神話、民話、宗教が出てくると、ちょっと範囲を広げすぎかなとは思いますが、・・・でも気になりますので、寄り道してみます。
神話、民話、宗教と事後合理性との関係
世界の成り立ちの説明
昔の人たちは、雷や洪水、日食みたいな自然現象の理由がわからなかったので、「神様が怒ってるからだ!」と説明。これは、観察された結果に対して、後から意味を与える=事後合理性の一例と言える。
文化的価値観の正当化
民話や神話には「なぜこういうルールがあるのか」、「なぜこの行動が正しいのか」を説明する話が多い。たとえば、「なぜ嘘をついてはいけないのか?」→「昔、嘘をついた人が神の怒りを買って災いが起きた」というような話。これも、既にある価値観や行動を正当化するための物語として機能している。
歴史の再解釈
宗教的な物語や神話は、過去の出来事を「神の意志」や「運命」として語り直すことがある。これも、過去の出来事に意味を与える事後的な解釈の一種。
つまり、神話や宗教、民話は、人間が世界を理解しようとする中で、事後的に意味づけを行う装置として機能してきたと言えるようです。
「バカの壁」
ここで「バカの壁」が突然出てくる唐突さをご容赦ください。
2003年に出版されて、社会現象になるほど話題になった養老孟司著「バカの壁」のことです。先ず、「バカの壁」で養老氏はどんなことを言っているか、要点をまとめてみます。
・「バカの壁」とは、自分の理解できないことを「無いもの」として扱ってしまう心の壁のこと。人は自分の知っていることしか理解しようとしない傾向がある。
・人は見たいものしか見ない
知識や経験のフィルターを通して世界を見ているから、同じものを見ても人によって全然違う解釈になる。つまり、客観的な「現実」は人それぞれ違う。
・「分かる」と「分かったつもり」は違う
表面的に理解した気になっても、本質を捉えていないことが多い。だからこそ、常に「本当に分かっているのか?」と自問する姿勢が大事。
・身体性の重要性
知識や理屈だけじゃなくて、身体を通じて得られる感覚や経験も大切。頭だけで考えると、現実とのズレが生まれやすい。
「バカの壁」は、知識社会に生きる我々に「本当に理解するってどういうこと?」と問いかけているように感じます。「バカの壁」と「事後合理性」って、何か関係があるの?って、思っていましたが、いろいろと、関係がありそうですね。まとめなおしてみます。
- 「理解したつもり」と「事後的な説明」は似た構造を持つ
「バカの壁」では、人は自分の理解できる範囲でしか物事を受け入れず、それ以外は「見えない」、「聞こえない」ものとしてシャットアウトしてしまう。これは、自分の中にある“理解の枠組み”に合うように、あとから物事を解釈し直すという点で、事後合理性とつながっている。
- 事後合理性は「バカの壁」を強化する
人は何か行動したあとに、「あれはこういう理由があったからだ」と後からもっともらしい理由をつけて納得しようとする。だがそれは、実際の動機や状況とはズレてることも多い。
この「自分の中で納得できる説明だけを採用する」姿勢が、まさに「バカの壁」を厚くしてしまう原因になる。
- 両者とも“自己中心的な認知”に根ざしている
どちらも、自分の視点や経験を基準にして世界を解釈してしまう傾向を表している。つまり、「バカの壁」は他者や異なる価値観を受け入れられない心の壁であり、事後合理性はその壁の内側で物事を整合的に見せようとする心の働きとも言える。
要するに、「バカの壁」は“外の世界を遮断する壁”で、「事後合理性」は“その壁の内側で自分を納得させるための仕組み”って感じでしょうか。
人類と事後合理性;とりあえず、まとめ
藤本教授が「生産システムの進化論」で「トヨタ生産システム」を「事後的合理性という進化論的な発想」で分析し論じた結論が「トヨタは”怪我の功名“で進化した」でした。「トヨタ生産システム」の基本原理からすれば、”ありえない“ 結論に、”東大の教授とあろう者が“ と、その浅薄を一笑に付してはみたものの、意外に奥が深そうでもあります。
事後合理性とは、人類にとっては生存に欠くことのできない特質である、と。そういわれてみれば、思い当たることがありますね。自己保全のための言い訳、自説・持論に有利なもの・ことの収集、政党の離合集散も関係があるのかな。そして宗教も、、。1633年に異端審問で有罪判決を受けたガリレオの地動説のはなしは有名。ガリレオ有罪判決後、1992年にのローマ教皇庁が「誤り」を認めるまでのいきさつは、こんな感じです。
「地動説=聖書に反する」として禁じていたが、科学の進展や観測技術の発達によって、地動説が現実的な宇宙観として受け入れられだすと、教会も「これはもう否定できない」と認識を改め始めた。1822年にはローマ教皇庁が地動説に基づく書物の出版を正式に許可。そして1835年には地動説を禁じる書物のリスト(禁書目録)からも、コペルニクスやガリレオの著作が削除された。ただし、地動説を認めたわけではなく「許容する」段階にとどまっていた。教皇ヨハネ・パウロ2世が、ガリレオ裁判に関して「誤りがあった」と公式に認めて謝罪したのが1992年。聖書の誤りをそう簡単に認めることはできなかったことは、キリスト教にとって聖書がいかに重要であったかを示している。
ローマ教皇庁が、その後に明らかになった科学的合理性に合う “地動説” にあらがうこと350年余。「誤り」を認めるのにこれだけの年月を要したことは聖書の正当性へのこだわり、あるいはその背後にある事後合理的思想の根強さを示している、という感じもします。
事後合理性について考察してきましたが、なかなか奥が深い。われわれが生存をかけた進化の中で獲得した本能的な特性のようでもあります。・・・無我夢中で事後合理性を追いかけているうちに「バカの壁」に突き当たりました。
なにをしていたんでしたっけ。
そうそう、致命的な欠陥を抱える「設計情報転写論」に依拠した藤本隆宏教授の ”ものづくり論“ が30年たっても ”ご健在“ でいるのはなぜか、を調べていたのでした。・・・で、「バカの壁」にぶつかってしまいまして、、、。
次回、もう少し、掘り下げてみたいと思います。