「ザ・ゴール」の巻末にある「『ザ・ゴール』誕生の背景とその後」から、一部抜粋します。
・・・それまで我が子のように大切に育て誇りにしていたスケジューリング・ソフトが、パフォーマンス改善にとって障害になるのだと現実が証明してしまったのだ。『ザ・ゴール』を読み、その内容を実行しただけの工場のほうが、高いお金を払って我が社のスケジューリング・ソフトを採用したクライアントより高い成果を上げてしまったのだ。それもはるかに短い期間にである。どうしてなのだと私は悩んだ。
いつからいつまで、何をどの工程で処理するか、のスケジュールは生産管理の基本。それがダメで、“小説”を真似た方が高い成果がでる。これって、常識に反しますよね。世の教科書には“生産計画・スケジュールは生産管理の基本中の基本”、と書いてありますからね。それがダメで、面白おかしく書いた“小説”の方がいい、と。
その後、ゴールドラットはスケジューリング・ソフトの開発・販売を“ぴたり”と止めました。スケジューリング・ソフトは使いものにならない、と悟ったんでしょうね。
なぜ、スケジューリング・ソフトが使いものにならないかについて、ゴールドラットは前掲抜粋に引き続いて次のように書いています。
理解できるまでにはしばらく時間がかかったが、結局、簡単な結論に達した。ソフトウエアを導入することに努力が集中してしまい、もたらせれる変化にどう対応すべきかまで神経が十分に回らなかったのである。根本的なコンセプト、評価基準、作業手順などの変化に対応できなかったのだ。そうとわかってまで、ソフトを買ってくれと客を説得できるだろうか。私には、良心の呵責があった。
なぜ、スケジューリング・ソフトがダメなのか、後年、盟友のエリ―・シュラ―ゲンハイムが原理的な欠陥に気が付きS-DBRを発表し修正しますが、上記述懐をみてわかるように、このとき、ゴールドラットは原理的欠陥にまったく気付いていませんでした。
1990年代~2000年初めにかけて。雨後の竹の子のように出てきたDBRスケジューラ・ベンダーは、今はほとんど姿を消している。これがDBRの現実です。
しかし一方、“小説”はTOC(制約理論)として発展するわけです。スケジューリング・ソフトがダメでも、TOCとして発展する。このパラドックスも面白いですね。機会があったら触れてみたいと思います。
なぜ、スケジューリング・ソフトは使いものにならないのか、考えてみたいと思います。
DBRの考え方は、
* 生産ラインの能力はボトルネック工程の能力で決まる
* ボトルネック工程の能力を100%発揮させる。
* ボトルネック工程の前にワーク(被処理物)が常にあるように、しかし必要以上に多くならないように、ボトルネック工程の処理時間より一定の時間(タイムバッファー)だけ前もって投入する。
当時、MRP(MRPII)では正確なスケジューリングできない、という問題を抱えていました。すべての工程を粗い時間粒度でスケジューリングすることに限界がありました。DBRはボトルネック工程だけをスケジューリングし、タイム・バッファーだけ先行させた投入スケジュールに従って生産を行う。他の非ボトルネック工程は“ロードランナー方式(流れてきたワークを直ちに処理し、次工程に送る)”で流し、スケジュールはない。ボトルネック工程の計画は隙間なく、びっしりとスケジューリングし、稼働率100%を狙う。
簡単かつ完璧。MRPのスケジューリング問題を解決し、尚且つバラツキ・変動を許容した生産管理方式だ、と。画期的でした。
DBRの解説記事; http://www.goal-consulting.com/toc_mg/dbr.pdf
DBRの説明にボーイスカウトのハイキングや軍隊の行進、ダイスゲーム(サイコロとマッチ棒のゲーム)などがよく使われます。
ボトルネック、変動性、従属性、バッファー、、など、非常にわかりやすい説明になっています。
しかし、この説明に致命的な欠陥があるんです。ボーイスカウトのハイキング、軍隊の行進、ダイスゲーム。どれも共通する欠陥です。どんなことだと思いますか。
例えば、ハイキングの例。こんなふうに説明するとわかりやすいんじゃないか、と、、。
ボトルネックをハービーではなくて、ハイキングコースのある場所にします。その場所は、例えば、1人しか渡れない長い“吊り橋”。吊り橋はこのハイキングコースの目玉。景観が良いだけではなくて、下が透けて見えて揺れるなどスリル満点。但し、条件があります。この吊り橋、1人ずつしか渡れません。1人が渡っているとき、次の人は前の人が渡り切るのを待っていなければなりません。吊り橋の前には何人かの少年が待つことになります。
こっちのほうがボトルネック的でしょ。
ハイキングの列の間隔が広がっているときには、吊り橋を渡っている少年はいないときもあります。つまり、吊り橋を渡り切る時間と少年が吊り橋に到着する時間間隔の関係で、
A) 吊り橋を渡り切る時間>次の少年が到着する時間間隔
B) 吊り橋を渡り切る時間≦次の少年が到着する時間間隔
の二つのケースが考えられます。Aの場合は吊り橋にたどり着いた少年は、前の少年が渡り切るのを待たなければなりません。Bの場合は、吊り橋にたどり着いた少年はすぐにわたり始めることができます。
吊り橋を渡り切る時間は少年によって異なります。歩く少年の間隔もバラツキますので、吊り橋への到着間隔もバラツキます。ですから、少年は待たなければならないときもあれば、待たずにすぐにわたり始めることができる場合もあります。少年が渡っているとき、吊り橋は稼働中、誰もわたる人がいないときは稼働していない、となります。
吊り橋をボトルネック工程と考えれば、その前に仕掛が溜まるのがAの場合、ワークが流れてこなくて手空き状態になるのがBの場合。この場合、手空きの状態を表すのに稼働率とか負荷率とか使います。
工程の処理時間とその工程に到着する時間間隔は生産ラインの特性を理解するためには、極めて重要な項目です。
この重要な特性の説明が、ボーイスカウトのハイキングにも、軍隊の行進にも、ダイスゲームにも、ない。これが抜けていると、生産ラインの特性を正しく理解することができなくなります。
ハイキングコースを生産ライン、少年たちをワーク(被処理物)とすればよかったのですが、ハービーをボトルネックに例えたために、工程の稼働率とその前で待つワークの待ち時間の関係がまったく見えなくなってしまいました。ハービー少年は、例えるならば、“処理時間の長いワーク”。
ゴールドラットが生産ラインの基本的メカニズムをまったく理解できていなかった証左のひとつではないか、と考えられます。
ゴールドラットが書いた「THE HAYSTACK SYNDROME」の“パート3 スケジューリング”にDBRのスケジューリングについて詳細な説明があります。そこにも、工程の稼働率とその前で待つワークの待ち時間の関係についての言及はまったくありません。この書の発行が1990年ですので、少なくても、この時期まで、ゴールドラットは生産ラインの基本的なメカニズムを理解できていなかったことになります。
この書の日本語翻訳は「ゴールドラット博士のコストに縛られるな」2005年3月、ダイヤモンド社から出ています。但し、パート1とパート2だけで、パート3はありません。原語でも“意味不明”な部分が多く、日本語に訳しきれなかったのではないか、と思います。
この重要な特性を見落としているのは、ゴールドラットだけではありません、、。