「精神論でガンバレ、なんとかかんとかというはなしをしてんじゃなくて、計算上、そうなるわけです。理屈上そうなるわけです。だからみなさん、やれてきているわけです。・・・そういう中であきらめずにコテコテのものづくりをやって、その現場の改善を諦めずにやっていきましょう。」・・・という「藤本隆宏の“ものづくり考“」。
数日前に、『「ものづくり日本」はウソである・・・養老孟司』という記事に目が留まりました。養老孟司氏といえば、昔、「バカの壁」っていう本、読んだのを思い出します。解剖学者ですよね。「ものづくり」とはあまり関係なさそうですが、、、。タイトルは次のようになっています。
「ものづくり日本」はウソである…養老孟司「職人気質の日本人がナマケモノな欧米人に技術力で勝てない理由」
“職人気質の日本人がナマケモノな欧米人に技術力で勝てない理由が『「ものづくり日本」はウソである』という結論に繋がる道理に倣ってみれば、”計算上、理屈上そうなる「コテコテのものづくり」“を主張する「藤本隆宏の“ものづくり考“」はどのようにみえるのか。
というわけで、読んでみることに
解剖学者の養老孟司氏と作曲家の久石譲氏との対談形式になっています。要所を抜粋します。
技術者がホンネを言いづらい環境になっている
【養老】日本人の変化としてもう一つ感じるのは、技術者がホンネを言いづらい環境になっているのではないかということですね。
それを感じたのは10年ほど前、横浜市に建設されたマンションを支える杭が、本来よりも短かかったために、固い地盤に届いていないことがわかったという報道があったんです。・・・施工業者は、杭が設計通りにちゃんと地盤に届いているかを確認する義務があるんですが、それをやっていなかった。原因は施工のときに、納期を急いだためだったという話になっていましたが、・・・ちゃんとやろうとすれば納期は間に合わない場合もありますからね。
【久石】納期を間に合わせるために無茶をやってしまったということですね。形だけを整えてしまうというか。
【養老】そこが問題なんですよ。そういう仕事をやってしまうとなると、もう終わりだなという気がしますよね。
【久石】何が変わったのでしょうか?
マンションの杭打ち込み不良と納期のはなし、これに類似したはなしは、よく聞きますね。
言葉が先か、実態が先か
【養老】納期とか人間の約束の方が重要になってしまったということですね。現場の職人の考えよりもね。
最近、ずっと言葉の問題を考えているんです。一言でいえば、「言葉が先か? 実態が先か?」ということ。日本人のいいところは実態を先に置いてきたこと、つまり実態を優先してきたということなんですね。マンションの例でいえば、現場、職人という実態を優先してきたんですね、これまでは。ところがここへ来て、「納期」「約束事」という言葉が人間よりも優先されてきている気がします。・・・
戦争中でいえば、「一億玉砕」「本土決戦」みたいなことを言い始めるんですよ。そんなことは無理に決まっているし、言っている人も無理だということがわかっている。なのに突き進んでいく、というようなことになりかねない。
いま世界中がそうなってきているんですよね。だから本当は日本がブレーキになってなければいけないんだけど。
【久石】面白いですね。「実態が先だ」という態度が変化しているとなると、日本人の文化にもかなり影響を与えますね。
出てきたキーワードが、「言葉が先か、実態が先か」。 “これまでは現場、職人という実態を優先してきたがここへ来て、「納期」「約束事」という言葉が優先されてきている、といっていますが、、、。次を読んでみましょう。
「もののあわれ」と思考形態
【養老】日本人は物事が起こって言葉が生じてくる傾向が強いと思うんですね。その事例として、日本人は季節が変化して、折に触れて何かを感じる。それを「もののあわれ」だというでしょう。そこから詩や歌が生まれる。日本人はそういうふうに言葉を捉えてきたわけです。・・・
僕は「上」と「下」という言い方をよくするんですが、「上」は言葉(頭)、「下」は実態のことです。つまり、日本人は「下」が「上」に影響を及ぼす。どちらかというと「下」に寄った言葉なんですね。だからたとえばオノマトペが日本語には豊富にありますね。「ニャーニャー」「がやがや」といった擬音語、「つるつる」「じろじろ」といった擬態語。日本人は感覚をオノマトペにするのですが、欧米系の人たちはダメなんですよね、幼児言語だという認識なので。
日本人は季節の変化(実態)を感じて詩や歌(言葉)が生まれる。オノマトペが多いのもそのため。
しかし、日本人は「上」にある言葉が、実態である「下」を規定する力が弱い。その典型例が、日本国憲法第9条ですよ。何を書いてあるか、議論さえしない。もちろん研究者やメディアなどといった一部の人たちは議論していますよ。でも国民的な関心になってこないでしょ。憲法9条などは、日本は現状が先にあって言葉ができる国民性だから、「憲法解釈」によって事を進める。“目はこう言ってるけども、口ではこう言ってるよ”みたいなことが出てきてしまうわけですよね。
“日本国憲法第9条;現状が先にあって言葉による解釈で事を進める”・・・なるほど。
「ものづくりの日本」は本当なのか
【久石】いまのお話と関係するかわかりませんが、「ものづくりの日本」などと言われて、日本の職人の腕のよさがクローズアップされることがありますよね。でも日本人が作るものについて気になっていることがあるんです。旧版『耳で考える』でも触れたことですが、(日本の伝統工芸品は別にして)レコーディング機材を例にとれば、イギリス人ってナマケモノのイメージがありつつも、圧倒的に最上級の機材を作っているんです。でも日本製は、それに匹敵するものは作れていなくて、安いものをものすごく精密にこしらえている印象です。飛行機もなかなか完成しないでしょう。ロケットも日本製はなかなか飛ばない。
以前先生が、日本語というのはもしかしたら論理的じゃないからかもしれないねという話をされていたんだけれども、それが影響しているのかなと思ったりしています。
“ものづくり”のはなしに入ってきました。日本のものづくりを“安いものをものすごく精密にこしらえている。飛行機もなかなか完成しない。ロケットも日本製はなかなか飛ばない”、と。これが「日本のものづくり」かぁ、、、。心当たりがありますねぇ。その要因を養老氏は、
「イエス」でも「ノー」でもない…
【養老】それは、日本人の場合は実態が先行するからです。こうでなければならないという論理が先行すると、それに伴って実態が変更されるわけですよ。日本人はそれをやらないんですよね。
【久石】それを突き詰めていくと、日本人って何なんだろうという問いに行きつくんだけれども、実態に従順なんですよね、受け入れてしまうから。・・・
日本人の場合は実態が先行するから、「イエス」とか「ノー」と判断(考える)必要がない、ということでしょうか。
でも、外国の人たちは「イエス」と「ノー」がはっきりしている。しかも反応が早い。いろんな国の人が全部そうであるわけではないけれども、大概の日本人の人は「イエス」と言うのが、感覚的には20パーセント前後なんですよね。「ノー」も20パーセント。残りの60パーセントはどっちでもないんですよね。「いいと思います」とか、いいのか悪いのかどっちなんだという反応をする。日本語というのはほぼそんな感じで表現されます。
自分を守るためなんですかね、断言したがらない・・・現場はやはり「イエス」「ノー」でちゃんと決めていかないとダメだと思うんですよ。
【養老】いずれまたそのうちとかね。時間的なものでも。
日本人は、60%が「イエス」「ノー」をはっきり言わない。現場は「イエス」「ノー」をちゃんと決めないとダメだ。で、なにで決めてるか。こんな例を挙げています。
パイロットの適性を「人相見」で決めた
【養老】もう一つの例を言うとね、日本の戦争末期に、パイロットが足りなくなって、早く養成しなければならないというときがあったんです。パイロットですから、ある程度適性があるだろうと。日本はどうやって適性を調べたかというと、よく当たるといわれる「人相見」を起用したんです。
それに対しアメリカは、心理学などの研究にもとづいて、どういう人がパイロットに向いているかを研究した。パイロットは操縦しているときに何を見ているか。パイロットに相応(ふさわ)しい人はどんな特性を持っているか……ということを「研究」したわけです。
・・・
日本はそうした分析的な研究をしようというふうにはならないで、人相見になってしまう。その差なんです。
日本では、分析的な研究をしないで「人相見」」で決める。う~ん、あるある、、。
私見を交えて、まとめてみる
「職人気質の日本人がナマケモノな欧米人に技術力で勝てない理由」とは?
職人気質の日本人のものづくりを「言語と実態」の二つのキーワードで説明している。実態の代表は自然現象。場所により季節により景色、状況は移ろい、それをどのように感じるかは人それぞれ。感覚から生まれる言語も微妙にゆらぐ。雪の種類は100種以上、雨に至っては400種以上の表現(言葉)があるとか。オノマトペも他言語に比べて多い。つまり、言語は実態(自然)をどのように感じるか、感じたかの表現に使われることが多かった。
ものづくりの現場では、主役は職人。技能伝承の仕組みである徒弟制度のなかで、技能伝達手段は「師匠をみて習え」「技を盗め」「身体で覚えろ」、、、。もちろん言語も使われるが、言語そのものが感覚的な表現が多いので、五感を通して習得することが多くなる。同時に、世の礼儀、道徳に大きな影響をおよぼした宗教(仏教)などの影響を受けた言語で倫理教育が行われ、職人気質が形成、継承されてきた、と考えられる。
「パイロット候補の選別」は、科学的な分析ではなく「人相見」という感覚的なもので行ったという例は、日本における実態と言語の関係を示す例としてわかりやすい。
実態(自然)を五感で言語化された言葉(これを感覚言語と略称)で意思疎通を図り、ものづくりの技能が伝承される。さらに良いものをつくるための改善も、実態との対話で進める。経験値+αの範囲で試行錯誤を繰り返す。時間はかかり、大きな変革は起きにくいが技術の継承は安定する。しかし感覚言語だけで思考、実験することはほとんどない。従って、感覚言語が先に来ても、実態を変えることは難しかったのではないか。日本では、江戸時代までは、このような状況であった。
一方、欧米諸国は、科学の発達が先行し、多民族、多言語環境の中で産業革命による大量生産時代に入った。ものづくりの世界にも科学的な手法が早くから導入され、実態を科学的に分析して正確に言語化することが定着した。パイロット候補の選別で、日本では人相見で決めていたのに対して、米国では、心理学などの研究にもとづいて、どういう人がパイロットに向いているかを研究した結果に基づいて候補選別を行った。
明治に入り、そして戦後、欧米からの科学技術の流入が盛んになる。実態を分析し、普遍的な現象をモデル化し、それを数値化し、数式、論理式等で記号化、言語化する。これを科学言語と略称する。科学言語により、思考実験や革新的な技術の実験・シミュレーションが可能となり、技術革新の進歩が加速する。
今の日本のものづくりの現場では、感覚言語と科学言語が共存している。
19世紀までは、日本は、確かに科学技術は欧米に後れを取っていた。しかし、戦後は急速にキャッチアップ。ノーベル賞受賞者の人数をみても、さほど、引けを取らない。が、しかし、この感覚言語と科学言語が適切に使い分けられていない領域も散見される。
“藤本隆宏のものづくり考”
その一端が“藤本隆宏のものづくり考”にみられる。その中で、言語と実態はどうなっているか、みてみよう。
ものづくりの生産性を高めるために最も重要なことは「良い流れをつくること」だ、と強調する。生産ラインにワークが投入されてから出てくるまでの時間;生産リードタイムが短かければ短いほど「流れが良い」ということになる。生産リードタイムの内、大部分がワークの待ち時間。彼の主張する「設計情報転写論」では生産リードタイムは次の式で求められるとしている。(生産システムの進化論;藤本隆宏著、1997年)
生産リードタイム=1/(情報受信スピード×情報受信密度)
しかしこの式は、意味不明である。直言すれば“デタラメ”。つまり、実態を正しく言語化(数式化)できていないのである。実態を正しく分析できず、間違った言語(数式)で実態を換えようとしても、それは不可能である。
“藤本隆宏のものづくり考”の中には、言語の科学的説明や言語間の科学的因果関係の説明はほとんどない。多くは感覚言語的であり、実態を科学的に分析している形跡は見られない。
- 簡単な算数の式、恒等式で使える
- 精神論でガンバレじゃなくて、計算上、そうなる。理屈上そうなる。
- あまり工場のことをみていない方々は、あまりわかっていない。我々はこれをヤマほどみていますから、こういうところを。
- 実際に我々、ちょっとした改善でもってリードタイムが、例えば、1/10になりました、なんていう話はザラに聞くんですよ。
- 「良い設計の良い流れをつくる」んだと、「よどみのない流れをつくる」んだ、「在庫を全部なくすんだ」・・・これは、根幹なんですね。
- ・・・
そして、オノマトペまででてくる。
「あきらめずにコテコテのものづくりをやって、その現場の改善を諦めずにやっていきましょう。」
根幹である「生産リードタイム」をきちんと解析し、言語化(特性のモデル化、数式化)できていないのに、いくら「コテコテ」やろうが、「ガンガン」やろうが、期待する結果が出る可能性はない。
“藤本隆宏のものづくり考” は致命的欠陥のある忌まわしき妄論であり、日本のものづくり力を劣化させる病原体である、といわざるを得ない。
どのようにして、このような妄論にたどりつき、30年以上もの長きにわたって固執し続けるだけではなく、「東京大学ものづくり経営研究センター」や「ものづくり改善ネットワーク」などで、“間違ったものづくり論” を“恥ずかしげ” もなく流布し続けるのか。次回、その辺りを、みてみるか、、、。