藤本隆宏教授の発想は「事後合理性」に固執しすぎか

前回、藤本隆宏教授が主張する「設計情報転写論」は論文としての体裁を整えているのか、という視点でみたわけですが、実際はこの論文、マトハズレでデタラメであることはわかっていましたし、どこに論理的欠陥があるのかもわかっていましたし、、、。で、気になっていたことは、東大教授でありながら、なぜ、こんな“バカ”な論文を恥ずかしくもなく書くのか、その背後に何があるのか、といったことでした。

「設計情報転写論」の致命的欠陥

「設計情報転写論」の致命的欠陥は、ものづくり企業を「情報システム」と抽象化したとき、「情報システム」として必須の物理的要素を捨象したことで生産ラインの特性を記述できなくなったことです。最も大きな影響は、生産ラインの各工程前でワーク(被処理物)が待つ時間が観察されなくなったことです。一般の生産ラインでは、この待ち時間が工程処理時間の数倍、数十倍、時には数百倍になることも珍しくありません。それほどの影響がある待ち時間がみえなくなりますので、生産システムの機能・性能分析はできなくなります。

例えば、生産ラインへの投入から完成までの生産リードタイム。一般のものづくり企業の生産リードタイムの、まぁ、ザックリといえば、90%以上は工程間で滞留している時間です。その中身は計画的に置くバッファーや手持ち仕掛もありますが、計画できるのは生産計画があらかじめ決まっている見込み生産だけ。多くの企業は変種・変量の受注生産(受注見込み混合生産も含む)です。この環境では待ち行列現象が必然的に発生しますので、あらかじめ仕掛数を計画することは困難です。勢い、手空きを防ぐために、できるだけ多くの仕掛を置くようになりますが、そうすると生産リードタイムが長くなり納期に間に合わなくなります。稼働率と納期(or仕掛)とはトレードオフの関係にあり、あちらを立てればこちらが立たず。生産現場の多くが抱える永遠のテーマです。

藤本教授の認識を探る

藤本隆宏教授はこの待ち行列現象についてどのような認識を持っていたのでしょうか。

藤本教授とメール交換中にこんな説明をいただいたことがあります。

生産とは、設計情報の転写であるというアイディアは、三菱総研で産業調査をやっていた1980年代前半の思いつきで、現在もこれがものづくり経営学の中心概念となっています。

その後、1984年に大野耐一さんから長時間お話を聞く幸運を得ました。この時に、リードタイムに占める付加価値作業時間(正味作業時間)の比率は 200分の1 (0.5%)なら上等、平均すれば2000分の1 (0.05%)、それ以下はさすがにだめだとお聞きして、そんなに低いのかとびっくりしました。

「生産は設計情報の転写である」というアイディアを思い付いたのは1980年代前半。そのアイディアを温めながら、大野耐一氏から正味作業時間と生産リードタイムの比についての話を聞いたようです。ここでのリードタイムの話は、藤本教授の講演や講義のなかでも出てきます。それも併せて考えれば、1/200 がトヨタで、一般企業のそれの平均は1/2000だ、と解せます。つまりトヨタの正味作業時間に対する生産リードタイムの比は一般企業の1/10、いかにトヨタの生産リードタイムが短く「もの」がスイスイ流れているのかがわかります。

この説明からは、「設計情報転写論」に思いをはせながらもトヨタの生産リードタイムの短さも認識したのではないか、トヨタの生産リードタイムがなぜ短いのか、の理由についても関心があったのではないか、と推察されます。であるならば・・・「設計情報転写論」でもその差をきちんと検出できるようにしておかなければならない、と考えはしなかったのでしょうか、、、。

「生産システムの進化論」(藤本隆宏著、1997年)に次のような記述があります。

1,000回以上通った現場から見えてきた「広義のものづくり」の本質。UTOKYO VOICES 059 Takahiro Fujimoto  という藤本隆宏教授のプロフィールをみつけました。その中にこんなくだりがあります。

1970年代後半の学生時代に行った水利慣行の調査は、単なる進化論的発想のきっかけ、というよりは、「研究者としてのベース」となり、「生産現場や産業の創発過程を捉える生産システム進化論」の論理的基盤となったことが確認できます。

その考え方の要点は、

「必ずしも事前合理性を前提にしない事後的合理性という進化論的な発想」

の辺りにありそうです。

ということは、「進化論的な発想」が先にあって(1970年代後半)、その後、設計情報転写のアイディアを思いついた(1980年代前半)、ということになります。つまり、「設計情報転写論」は「進化論的な発想」の影響を受けて構築された、、、のではないか、、。

進化論的発想とは

進化論的発想」とはどのような発想で、どのような特徴があるのか。どうやら、事前合理性とか事後合理性という言葉にヒントがありそうです。事前合理性と事後合理性の一般的な説明は次のようになっています。

事前合理性;

事後合理性;

  • 物事が起きた後になってから、その結果に合うように理由づけをすること
  • 本当は「偶然」、「直観」、「勢い」で決めたことでも、後からもっともらしい理由をつけて説明すること

対比的にみると、理由づけするタイミングが、事前合理性は“行動する前”、事後合理性は“結果が出た後”。何を重視するかについては、事前合理性は“判断プロセスの妥当性”、事後合理性は“結果に合わせた後付け説明”ということになります。

「設計情報転写論」は“進化論的発想”で論理構築されたのか

“進化論的発想”が意識されている中で設計情報の転写というアイディアが生まれたとすると、「設計情報転写論」の論理構築に“進化論的発想”が何らかの影響を及ぼしているのではないか。そのあたりをみてみます。

先ず、「設計情報転写論」は事前合理的かどうか。行動する前に、つまり「設計情報転写論」の論理構築を行う前に、入手できる必要な情報を収集し、それに基づいて合理的で妥当だと考えられる選択をしたかどうか。

「設計情報転写論」の論理基盤を構築したのは、それを思いついた1980年代前半から、遅くても「生産システムの進化論」を発刊した1997年の間。「設計情報転写論」の最も基本的なところは、生産システムを「モノの側面を捨象して情報システムとして抽象化」し、モデル化したことです。ところが、既述の通り、世に存在する「情報システム」はすべて、「モノの側面」、言い換えれば物理的要素を切り離しては成り立たないシステムです。モールス信号発明以来、今日のインターネットに至る「情報システム」をみれば、すべてが物理現象を利用していることは一目瞭然です。

つまり、「設計情報転写論」の論理構築が行われる時点で「情報システムはすべて、物理現象を利用して成り立っている」ことは明らかになっていました。それも調べれば簡単に分かることです。

「設計情報転写論」の論理構築が行われる時点で、「すべての情報システムは物理的要素が必須である」ことを容易に知ることができたにもかかわらず、「情報システム」をモデル化(抽象化)するときに物理現象を捨象(無視)するという致命的な間違いをしました。つまり、事前合理性は否定されることになります。

にもかかわらず、「設計情報転写論」は今なお健在です。さらには、製造業だけではなくサービス業や農業などを含めた広い範囲に適用できる“新鮮”な考え方であると巷では評価されています。

事前合理的に成立したわけではない「設計情報転写論」はどのような理屈で出来上がったのでしょうか。「偶然」か、「直観」か、はたまたその時の雰囲気が醸し出した「勢い」か、、、。あいまいな成り行きで、言い換えれば事後合理的に「設計情報転写論」は出来上がってしまった、ということでしょうか。

「設計情報転写論」の後付け説明

しかし、そうだとしても、「設計情報転写論」の発案、存立の説明は求められます。この論が実態をいかに正しく記述しているか、普遍性はあるか、利用価値はあるか、、、。つまり、事前に何の準備もなしに事後に成り行きで出来上がった結果を現状に合うように説明しなければならなくなります。その説明に説得力があれば、とりあえずはそれでいい、ということになるでしょう。これが事後合理性ということになります。

「設計情報転写論」の場合、事後の説明は以下のようにされています。

  • 開発=設計情報の転写、生産=転写、販売=顧客への発信というものづくり企業の業務を一貫した流れで説明できる。➡企業の競争力向上の新たな視座を提供する
  • トヨタ生産方式の「流れ」の思想と親和性が高く、現場改善の基本を説明できる。

この説明の説得性はどうでしょうか。否定的な感じはしません。むしろ、バブルがはじけた結果、1990年代後半から21世紀に入る停滞の10年が20年に、そして30年に、、という世相を背景にすれば時宜を得た、何か新鮮さも感じられる説明ではないか、とさえ思われます。そして「設計情報転写論」が世に知られるようになって30年近くになりますが、今なお、健在。事後合理性が立派に成立していると考えられます。

致命的な欠陥がある「設計情報転写論」が生まれた背景には事前合理性はなく、「偶然」、「直観」、「勢い」的な成り行きで出来上がったにも関わらず、その後長期にわたり世に受け入れられている背景にはそれなりに「受け入れられる説明があった」ことは確かでしょう。

少し、こんがらかってきました。トヨタ生産システムがどのような経緯で形成され、その機能を維持・強化したかを分析するアプローチが「進化論的発想」だ、ということから始めたのですが、途中で、分析に用いる「設計情報転写論」そのものが「進化論的発想」で、つまり事後合理的に出来上がったのではないのか、という少々脱線気味のはなしになってしまいました。

トヨタ生産システムの発生・成長は「事後合理的」である

トヨタ生産システムの発生と成長を分析するときに、「設計情報転写論」に依拠し、生産システムを「情報システム」として捉え、また、トヨタの進化を「必ずしも事前合理性を前提にしない事後的合理性という進化論的な発想」で分析、評価しました。追加的には「設計情報転写論」そのものが事後合理的な発想で出来上がったことも確認されました。その結論っぽいものは、

「先行する条件からは予測や説明のできない発展過程」で出来上がったが、

それは、トヨタが「事後的な進化能力(能力構築能力)」を持っていたからである。

そして、、、

トヨタは”怪我の功名“で進化した。

進化能力の実態は”心構え“である。

と。トヨタを事後合理的に分析した一例とみることができるのではないかと思います。

トヨタ生産システムの発生・成長は「事前合理的」である

巷でよく知られていることは、トヨタ生産方式の基本思想は「徹底したムダの排除」であり、それを貫く二本の柱がジャストインタイムと自働化だ、と。その発想の起源は豊田佐吉であり、豊田喜一郎であり、そして戦後具体化を牽引したのが大野耐一だというはなし。特に1978年に出版された大野耐一著「トヨタ生産方式」は、トヨタ生産方式の構築過程をわかりやすく説明しています。ジャストインタイムと自働化を実現したのが「かんばん方式」、「平準化」、「あんどん」、「標準作業の徹底」、「なぜなぜ5回」、、、などなどのトヨタ語として知られているツールです。

大野耐一著「トヨタ生産システム」では、「徹底的なムダの排除」という方針に沿って、ジャストインタイムと自働化を具体的に実現する過程を「科学的アプローチ」、「因果関係」、「本当の原因追及」等の言葉で語られています。p34にこのような記述があります。

つまり試行錯誤の繰り返しの中で、次の目標達成のための実行に入る前に科学的なアプローチで問題を観察し、有効で合理的な分析をして入手した情報で、妥当な判断をするようにしていた、ということがわかります。これはまさに、事前合理的なアプローチだと考えていいのではないでしょうか。

「事後的合理性という進化論的な発想」に固執した藤本教授の影響は、

藤本隆宏教授の「トヨタは”怪我の功名“で進化した」で代表する「トヨタ事後合理的進化説」に対して、巷ではほぼ定着している「トヨタは事前合理的に進化した」という認識と・・・、みな様はどのようにお考えでしょうか。

藤本隆宏教授の「事後的合理性という進化論的な発想」は、彼の学者・研究者・教育者としての経歴を通して維持され、大学の講義、書籍、講演、各種メディアでの主張などに反映されております。それが、日本の“ものづくり論”にどのような影響を及ぼしているのか。次回は、その辺りを、、、


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