『藤本隆宏の“ものづくり考“』に内在する致命的欠陥―『「ものづくり日本」はウソである・・・養老孟司』 に映してみると見えてくる-

「精神論でガンバレ、なんとかかんとかというはなしをしてんじゃなくて、計算上、そうなるわけです。理屈上そうなるわけです。だからみなさん、やれてきているわけです。・・・そういう中であきらめずにコテコテのものづくりをやって、その現場の改善を諦めずにやっていきましょう。」・・・という「藤本隆宏の“ものづくり考“」。

数日前に、『「ものづくり日本」はウソである・・・養老孟司』という記事に目が留まりました。養老孟司氏といえば、昔、「バカの壁」っていう本、読んだのを思い出します。解剖学者ですよね。「ものづくり」とはあまり関係なさそうですが、、、。タイトルは次のようになっています。

「ものづくり日本」はウソである…養老孟司「職人気質の日本人がナマケモノな欧米人に技術力で勝てない理由」

“職人気質の日本人がナマケモノな欧米人に技術力で勝てない理由が『「ものづくり日本」はウソである』という結論に繋がる道理に倣ってみれば、”計算上、理屈上そうなる「コテコテのものづくり」“を主張する「藤本隆宏の“ものづくり考“」はどのようにみえるのか。

というわけで、読んでみることに

解剖学者の養老孟司氏と作曲家の久石譲氏との対談形式になっています。要所を抜粋します。

マンションの杭打ち込み不良と納期のはなし、これに類似したはなしは、よく聞きますね。

出てきたキーワードが、「言葉が先か、実態が先か」。 “これまでは現場、職人という実態を優先してきたがここへ来て、「納期」「約束事」という言葉が優先されてきている、といっていますが、、、。次を読んでみましょう。

日本人は季節の変化(実態)を感じて詩や歌(言葉)が生まれる。オノマトペが多いのもそのため。

“日本国憲法第9条;現状が先にあって言葉による解釈で事を進める”・・・なるほど。

“ものづくり”のはなしに入ってきました。日本のものづくりを“安いものをものすごく精密にこしらえている。飛行機もなかなか完成しない。ロケットも日本製はなかなか飛ばない”、と。これが「日本のものづくり」かぁ、、、。心当たりがありますねぇ。その要因を養老氏は、

日本人の場合は実態が先行するから、「イエス」とか「ノー」と判断(考える)必要がない、ということでしょうか。

日本人は、60%が「イエス」「ノー」をはっきり言わない。現場は「イエス」「ノー」をちゃんと決めないとダメだ。で、なにで決めてるか。こんな例を挙げています。

日本では、分析的な研究をしないで「人相見」」で決める。う~ん、あるある、、。

私見を交えて、まとめてみる

「職人気質の日本人がナマケモノな欧米人に技術力で勝てない理由」とは?

職人気質の日本人のものづくりを「言語と実態」の二つのキーワードで説明している。実態の代表は自然現象。場所により季節により景色、状況は移ろい、それをどのように感じるかは人それぞれ。感覚から生まれる言語も微妙にゆらぐ。雪の種類は100種以上、雨に至っては400種以上の表現(言葉)があるとか。オノマトペも他言語に比べて多い。つまり、言語は実態(自然)をどのように感じるか、感じたかの表現に使われることが多かった。

ものづくりの現場では、主役は職人。技能伝承の仕組みである徒弟制度のなかで、技能伝達手段は「師匠をみて習え」「技を盗め」「身体で覚えろ」、、、。もちろん言語も使われるが、言語そのものが感覚的な表現が多いので、五感を通して習得することが多くなる。同時に、世の礼儀、道徳に大きな影響をおよぼした宗教(仏教)などの影響を受けた言語で倫理教育が行われ、職人気質が形成、継承されてきた、と考えられる。

「パイロット候補の選別」は、科学的な分析ではなく「人相見」という感覚的なもので行ったという例は、日本における実態と言語の関係を示す例としてわかりやすい。

実態(自然)を五感で言語化された言葉(これを感覚言語と略称)で意思疎通を図り、ものづくりの技能が伝承される。さらに良いものをつくるための改善も、実態との対話で進める。経験値+αの範囲で試行錯誤を繰り返す。時間はかかり、大きな変革は起きにくいが技術の継承は安定する。しかし感覚言語だけで思考、実験することはほとんどない。従って、感覚言語が先に来ても、実態を変えることは難しかったのではないか。日本では、江戸時代までは、このような状況であった。

一方、欧米諸国は、科学の発達が先行し、多民族、多言語環境の中で産業革命による大量生産時代に入った。ものづくりの世界にも科学的な手法が早くから導入され、実態を科学的に分析して正確に言語化することが定着した。パイロット候補の選別で、日本では人相見で決めていたのに対して、米国では、心理学などの研究にもとづいて、どういう人がパイロットに向いているかを研究した結果に基づいて候補選別を行った。

明治に入り、そして戦後、欧米からの科学技術の流入が盛んになる。実態を分析し、普遍的な現象をモデル化し、それを数値化し、数式、論理式等で記号化、言語化する。これを科学言語と略称する。科学言語により、思考実験や革新的な技術の実験・シミュレーションが可能となり、技術革新の進歩が加速する。

今の日本のものづくりの現場では、感覚言語と科学言語が共存している。

19世紀までは、日本は、確かに科学技術は欧米に後れを取っていた。しかし、戦後は急速にキャッチアップ。ノーベル賞受賞者の人数をみても、さほど、引けを取らない。が、しかし、この感覚言語と科学言語が適切に使い分けられていない領域も散見される。

“藤本隆宏のものづくり考”

その一端が“藤本隆宏のものづくり考”にみられる。その中で、言語と実態はどうなっているか、みてみよう。

ものづくりの生産性を高めるために最も重要なことは「良い流れをつくること」だ、と強調する。生産ラインにワークが投入されてから出てくるまでの時間;生産リードタイムが短かければ短いほど「流れが良い」ということになる。生産リードタイムの内、大部分がワークの待ち時間。彼の主張する「設計情報転写論」では生産リードタイムは次の式で求められるとしている。(生産システムの進化論;藤本隆宏著、1997年)

生産リードタイム=1/(情報受信スピード×情報受信密度)

しかしこの式は、意味不明である。直言すれば“デタラメ”。つまり、実態を正しく言語化(数式化)できていないのである。実態を正しく分析できず、間違った言語(数式)で実態を換えようとしても、それは不可能である。

“藤本隆宏のものづくり考”の中には、言語の科学的説明や言語間の科学的因果関係の説明はほとんどない。多くは感覚言語的であり、実態を科学的に分析している形跡は見られない。

  • 簡単な算数の式、恒等式で使える
  • 精神論でガンバレじゃなくて、計算上、そうなる。理屈上そうなる。
  • あまり工場のことをみていない方々は、あまりわかっていない。我々はこれをヤマほどみていますから、こういうところを。
  • 実際に我々、ちょっとした改善でもってリードタイムが、例えば、1/10になりました、なんていう話はザラに聞くんですよ。
  • 「良い設計の良い流れをつくる」んだと、「よどみのない流れをつくる」んだ、「在庫を全部なくすんだ」・・・これは、根幹なんですね。
  • ・・・

そして、オノマトペまででてくる。

「あきらめずにコテコテのものづくりをやって、その現場の改善を諦めずにやっていきましょう。」

根幹である「生産リードタイム」をきちんと解析し、言語化(特性のモデル化、数式化)できていないのに、いくら「コテコテ」やろうが、「ガンガン」やろうが、期待する結果が出る可能性はない。

“藤本隆宏のものづくり考” は致命的欠陥のある忌まわしき妄論であり、日本のものづくり力を劣化させる病原体である、といわざるを得ない。

どのようにして、このような妄論にたどりつき、30年以上もの長きにわたって固執し続けるだけではなく、「東京大学ものづくり経営研究センター」や「ものづくり改善ネットワーク」などで、“間違ったものづくり論” を“恥ずかしげ” もなく流布し続けるのか。次回、その辺りを、みてみるか、、、。


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