「時間」をキーワードに現場改善会計論(以下、GKC)を斬ってみました。論文の中にも時間が論理構成上重要な要素である旨の記述があります。しかし、どこをどのように斬っても、「時間の理」が観えてきません。「時間」とは、我々の住む世界を構成する基本次元のひとつ。GKCの時間概念そのものが時空間の法則に反しているのではないのか。ここでいう時空間の法則とは、相対性理論や量子論のはなしではなく、古典物理学でのはなしです。念のため、、、。
・・・でも、GKCって、東大や京大教授の教えを引き継いでいるんですよ。「一理」はなくても「一利」ぐらいはあるんじゃないの、と思うわけです。 ・・・で、ちょっと趣は異なりますが、「時間」を「歴史」という時間軸に換えてみれば、なにか、“らしきもの” がみえて来るかも・・・。暇つぶしに歴史探索してみましょうか。
原価計算、管理会計分野の歴史について参考になるのが下記の書。
RELEVANCE LOST The Rise and Fall of Management Accounting
H.Thomas Johnson、Robert S. Kaplan 1987
邦訳版;レレバンス・ロスト: 管理会計の盛衰 鳥居宏史 訳
すでにお読みになった方も多いと思います。ここではGKCを支える「論理」みたいなものが歴史(過去の時系列)の中に存在したのかどうか、存在したとすれば、その歴史的背景とはどのようなものだったのか、などなど、上記書を参照しながら、主に米国での管理会計の歴史を、私見を交えて要約してみます。
~~~[以下、要約]~~~
管理会計が抱える問題
本来、管理会計の目的は、中間製品や完成品ごとの原価を計算し、生産効率を管理することであった。しかし今日(1980年中頃)の管理会計情報は、もっぱら、企業の財務報告作成過程で生み出されていて、元来の目的達成が困難になるなど、さまざまな問題を引き起こしている。主な問題3つを下記に挙げる。
① 管理会計報告書は、今日の生産環境では比較的重要性の低い直接労務費に焦点を置いているので、工程の詳細な能率情報はタイムリーに出てこない。そのため、現場管理者が原価低減や生産性向上を試みるとき、管理会計情報はほとんど役に立たないどころか、その情報によりかえって生産性が下ることもしばしばある。管理会計システムは、生産性向上にとって決定的に重要なポイントから管理者の注意をそらしていることになる。
② 管理会計システムは、正確な製品原価情報を提供していない。固定費の製品への配賦は、直接労務基準のような単純かつ恣意的な基準で行われるのが一般的である。その基準は、各製品が経営資源を必要とする程度を示すと考えられていたが、その関連性は薄れてきている。単純化された製品原価計算方法は、財務報告要求には適しているが、個々の製品原価を故意に捻じ曲げ、歪めている。多くの企業で使われている標準原価計算システムでも、製品相互間での原価の付け替えが起きている。このような歪められた情報が“製品原価”に関する唯一の利用可能なデータであるとき、製品価格の設定、調達先や販売先の決定を誤らせてしまう危険がある。
③ 管理者の視界が短期の月次損益計算書に狭められる。例えば、新製品の開発や工程改善、予防保全、長期的な市場地位確保、従業員教育などの現金支出は、将来に実質的な収益を生み出し得る。しかし、管理会計システムでは、将来に利益をもたらす現金支出を実際に支払われた期間の費用として処理するため、その期間の利益を減らすことになる。短期利益目標達成のため、将来に収益が見込まれる長期投資を減らし、企業の将来の成長を阻害することにつながる。
今日の管理会計システムは、企業が直面している競争環境を適切に反映する尺度を提供することなく、経営管理者を誤った方向に導く危険をはらんでいる。
管理会計情報が必要となった背景
深刻な問題を抱えている今日の管理会計が始まった背景はどのようなことだったのか。
19世紀初頭以前には、実質的にすべての取引は、企業主とその企業に属さない原材料供給者、請負出来高払いの労働者、そして顧客との間、つまり市場で行われた。工業形態で分類すれば “問屋制工業” に属する。企業主は、労働力と材料の供給者に支払われるものより多くの現金を、顧客への販売から回収すればよかった。俗に言えば、“どんぶり勘定”でよかった。
管理会計情報とは、企業内部で発生する取引についての情報である。19世紀初頭以前は、取引は市場で行われていたので企業内部での取引情報は必要なかったのである。
19世紀初頭以降、市場の需要が増大し、企業も産業革命などを背景に生産量が増え、収益も増大した(規模の経済)。蓄積した資金を企業の組織改革・管理機能改革に投入した。例えば、臨時契約の労働者を長期契約(正規雇用)に切り替え、安定した階層的組織を編成した。それを管理することで、市場取引よりも多くの利益を得ることができるようになったのである。成功事例としては、19世紀前半の紡織工場、中頃に形成された鉄道業、および後半に創立された鉄鋼業などを挙げることができる。
このような企業の出現により、以前は、市場価格で流通していた工程間取引は、企業内部で行われるようになった。そのため、内部業務から完成品の価格を決定するための内部取引情報――管理会計情報――が必要になったのである。工業形態でいえば “問屋制工業” から “工場制工業” への移行である。
初期の管理会計尺度は加工費に焦点を置いて、各工程や作業者の時間単価や重量単価を設定するものであった。設定単価には労務費と材料費、そして製造間接費の配賦額が含まれた。
管理会計システムの目標は、中間製品や完成品ごとに原価を計算し、加工工程の能率を測定する基準を提供し、管理者、労働者に生産性目標達成を促すことであった。
管理会計と財務会計の二つのシステムがそれぞれ独立して機能した
紡織業や鉄鋼業などの加工業、輸送業、流通業など、それぞれの業態は異なる。管理会計尺度は、内部工程の生産性を評価し、現場監督者や作業者に能率向上を動機づけるためであった。そのため、業態ごとに適した管理会計システムが開発された。決して、企業全体の“利益”を測定するためではなかった。企業それぞれは、自分たちの業務を能率的に遂行していれば、長期的に利益を獲得できるものだ、と考えていた。
一方、企業所有者や債権者には、取引にもとづく別個の会計システムが存在し、期間的な財務諸表を提供していた。つまり、管理会計と財務会計の2つのシステムがあった。
その後、管理会計システムの技術は、テイラーが主導した科学的管理法に連動し、さらに発展した。科学的管理技術者たちの目標は労働力や材料を能率よく利用することであったが、そこで得られた加工能率の尺度を使って最終製品の単位原価も計算した。製品単位原価は、適切な販売価格設定に大いに役立ったのである。
管理会計情報で計算された単位原価が外部財務諸表作成のために使われることはなかったので、単位原価と財務諸表とが “首尾一貫している” 必要性はほとんどなかった。管理会計と財務会計の二つのシステムは、それぞれ別々に、独立して機能していたのである。
管理会計システムに加えられた新たな指標;ROI
管理会計システムの最後の発展は、20世紀最初の20~30年間に起きた。
工場制工業の始まりのころは、企業所有者が資金を出し経営していたが、企業の規模が大きくなるに従い必要な資金も増大し、外部から資金を調達するようになる。20世紀に入り、
資金需要がさらに増え、資本市場も拡大してくる。資本市場では、投資に対する利益率が投資家のインセンティブとなる。
一方、企業も規模の拡大、範囲の拡大が進むと、活動が多岐に及ぶ多角的企業の成長を支援する評価尺度が必要となった。
デュポン社は、1903年、別個の企業を連合して多角的企業グループを形成した。新生デュポン社の管理者達が直面した課題は、製造と販売を垂直に統合した組織の中で、多様な諸活動に最も有利となる資本配分を決定することであった。そこで、開発されたのが、投資利益率(ROI)という指標であった。
事業部制の導入
1920年頃、黒のT型1車種に絞った流れ生産で驚異的な原価低減を成し遂げ、一般市民が手の届く価格で売り出したフォード・モーターが独走する一方で、ビュイック、キャデラック、オールズモービルなど複数の企業を傘下に持つゼネラル・モーターズは過剰在庫を抱え倒産の危機にあった。デュポンの経営陣が乗り込んで、多様化した製品市場にまたがる幅広い範囲の製品を効率良く担当する事業部制組織を導入した。巨大企業が供給する製品市場は、非常に多様であったため、分散・分権化された活動を調整するための新システムや尺度が必要になったのである。分権的な事業部制企業は、範囲の経済――幅広い範囲の製品にまたがる共通の組織職能を共有することによる利得――を獲得することに成功した。GMは1931年、フォードから販売台数世界一の座を奪取、その後、世界の自動車産業を牽引することになる。
GMについては、その後1970年代に入ると日本との貿易摩擦をきっかけに、トヨタとの合弁企業NUMMIを設立、そして経営破綻、国有化、新生GM・・・と続くが、ここでは管理会計との関係に限定しておき、他は別紙で検討することにする。
喪失した適合性
19世紀、管理会計は原価計算や生産工程の能率評価が主な目的であった。20世紀に入り資本市場が発達し、出資者の要求である投資利益率(ROI)が企業の評価指標として加わった。さらに多層化、複雑化する企業組織を管理するために事業部制が導入された。生産現場の能率評価指標であった管理会計は、外部の投資家の要求を満たす評価指標に代わった。
今(1980年代中頃)の管理会計実務で使われている原価勘定は、労務費、材料費、製造間接費とか、変動予算、販売予測、標準原価、差異分析などの会計手法である。これらは、実質的に、1925年以前に開発されたものである。それ以降も、製品の多角化や製造工程の複雑化はさらに加速した。であれば、正確な製品原価や効率的な工程管理のためには、新たな管理会計システムが必要だったはずである。しかし、実質的に有効な策が出てくることはなかった。その結果、
冒頭に挙げた三つの慢性的問題;
① 現場改善に、管理会計情報は役に立たない
② 製品原価を歪める
③ 短期利益目標を重視し、長期利益を軽視する
を抱え続けることになったのである。
~~~[以上、要約]~~~
Relevance Lostが出版されてからほぼ40年が経過しました。それ以降現在(2025年2月)まで、会計分野でも様々な改善が加えられたと思われますが、管理会計が抱えてきた諸問題は解決したのでしょうか。
1980年代の米国は日本との貿易摩擦を抱え、製造業に深刻な問題を抱えていました。Relevance Lostから、その原因の一端が管理会計にもあったのだ、ということが垣間見られるのではないかと思います。その頃の日本は “ものづくり日本” を謳歌していた時代ですが、1990年代に入るとバブルが崩壊し、失われた30年、40年の時代に入ります。この辺りについては次回に回して、1980年代半ばまでの米国の管理会計を下敷きにして、現場改善会計(GKC)の特徴を浮き彫りにしてみようと思います。
現場改善会計(GKC)と重ねてみると、
米国での管理会計の歴史をザックリと振り返ってみました。Relevance Lostによれば、管理会計の目的を次のように記述しています。
「管理会計システムの目標は、中間製品や完成品ごとに原価を計算し、加工工程の能率を測定する基準を提供し、管理者、労働者に生産性目標達成を促すことであった。」
一方、GKCが目指したのは、「改善効果の見える化」。
現場改善会計論の提唱―原価管理から余剰生産能力管理へ―
日本管理会計学会誌 管理会計学2023 年第31 巻第2 号
から引用してみます。
GKC を考察するにいたったリサーチ・クエスチョンは、いずれも実務家の方々から繰り返しお聞きしたご質問や悩みごとに端を発している。直近10年以上にわたり、様々な企業を訪問し、あるいは来訪を受けた中で、筆者が最も頻繁にお聞きした質問が「現場での改善は上手くいっているはずなのに、効果(会計的効果)がわからない。従業員をどうやって評価すればよいか。」という経営者の声や「我々は現場で頑張っているが、その効果を経営層にどうやって報告すればいいのかがわからない。会計効果を計算してもらえないか。」という現場の声などであった。経営層と現場管理者層がほぼ共通の課題を認識されていたということである。そこで,GKC の提唱にいたる一連の研究において、最初に目指したのが「改善効果の見える化」であった。
19世紀米国での管理会計の始まりの背景とGKCの動機、目標はほぼ重なるようです。
Relevance Lost から40年
管理会計システムは、1925年以降進化は止まり、下記のような管理会計の問題が顕在化します。
① 現場改善に、管理会計情報は役に立たない
② 製品原価を歪める
③ 短期利益目標を重視し、長期利益を軽視する
これは1980年代に指摘されたことです。その後約40年、さまざまな改善が提案されていますが、問題解決には至っておりません。個別製品原価計算で顕著に表れる原理的な欠陥をみれば、今後も根本的な解決の可能性は低いとみていいのではないかと思われます。
初期管理会計とGKCの共通点
初期管理会計とGKCのねらいは一致します。とすれば、GKCが成立する条件は、初期管理会計で行われた原価計算のそれと共通するのではないか。管理会計が始まった頃の状況をもう少し詳しくみてみたいと思います。
管理会計の始まりは問屋制工業から工場制工業に代わったのがきっかけでした。問屋制工業の前は家内制工業。家内制工業とは、職人が原材料や道具など生産に必要なものを自ら調達し、生産する形態です。職人が自らの資金で資材を買い、自らの労働力を使い、自ら販売する。生産品の取引は、市場で行われていました。
需要の増加など市場の変化に伴い、問屋制工業が出現します。問屋制工業とは、問屋が職人に原料や道具を貸与してモノを作らせ、それを買い取るという生産形態です。買い取った製品(半製品)は次の工程(職人)に運ぶこともあれば、市場で取引されることもあります。
時代とともに、生産数量および生産品種の拡大が続く中で、分散する工程(職人)の管理が煩雑になってきます。そして現れたのが工場制工業。工場を建て、そこに賃金労働者を雇用して生産する。市場で流通していた半製品は、工場の管理下に入るので、管理会計が必要になりました。
工場管理で重要なことは労働者の作業能率を高めて製品原価を下げることです。そのためには作業者の「手空き(手待ち)」を防ぎ、常に作業ができるようにワーク(被処理物)が手元にあるようにすることです。
その当時の生産形態は月次のまとめ生産(ロット生産)であったと思われます。倉庫には1~2カ月の在庫を置き、販売予測と在庫数をみながら月次生産計画を立てる。月初投入~月末完成・入庫というサイクルで回していたと思われます。
このようなまとめ見込生産だと、工程間にふんだんに仕掛が滞留し、作業者が手空きになることを防ぐことができます。つまり、作業者の負荷率(稼働率)はほぼ100%になります。これにより工数管理が簡単になり、原価計算も容易になったと思われます。
これが可能であったのは、
- 生産品種はひとつ。複数種の場合もあるがすべて類似品
- 流れ生産ではなく「まとめロット生産」である
- 在庫を介した月次見込生産である
- 製造工程は簡単な道具を用いた手作業
- 少しの訓練で誰でもできる(熟練を要する作業は少ない)
- 生産品種はひとつなので段取り替えはほとんどない
- 工程仕掛、在庫は生産数や工程数の割には多い
- 生産リードタイムは長いが特に問題とはならない
このような生産環境では、生産数と投入工数がほぼ比例し、中間製品や完成品ごとの原価の跡付けが可能となり、また加工工程の能率を正確に測定することができるようになった、と考えられます。
GKCではどうか
先に挙げた管理会計が始った頃の生産状況であったならば、GKCは機能したのでしょうか。GKCが目指した「改善効果の見える化」は実現できたのでしょうか?
例えば、ある工程で10分の作業時間が8分に改善されたら、需要がある場合、どのぐらい原価が下がるのか。あるいは生産数量がどのぐらい増えるのか。企業としての利益はどのようになるのか。・・・このようなことが簡単に計算できますかぁ~、GKCで・・・。
答えは、「Yes」です。
やっと・・・やっと、見つかりましたね。「改善効果の見える化」が実現する条件が、、。
・・・ということは、
GKCが100年前に発表されていれば、管理会計の目的を実現する具体的手法として注目されたかも、、、。
100年、遅かったかぁ~、、、