「現場から見上げる企業戦略論」は根拠のない根性論か、、

技術・生産管理、進化経済学が専門で、トヨタ生産方式をはじめとした生産管理方式の研究で知られる藤本隆宏教授との意見交換。出てきた見解には、正直、驚きました。なんか怪しいというか、でも東大の教授だし、そんないいかげんなことでもないだろう、とかで、やっぱもう少し調べてみた方がよさそうだ、と思い、彼の著した「現場から見上げる企業戦略論」(2017年7月発行)を読んでみました。

本書の「はじめに」にこんなことが書いてあります。(本書から引用)

(p4)この本でいいたいことは、一言でいえば、現場現物の理論・実証に裏打ちされた、日本の産業・企業に対する「慎重な楽観論」である。こういえば、何を呑気なことをいっているのか、日本はいま大変なんだ、という反論がすぐに聞こえてきそうである。しかしそれに対して私がお聞きしたいのは、あなたは現場現物を見てそれをいっているのか、他人の話を鵜呑みにしていないか、ほんとうに自分で見て、考えてそういっているのか、という問いである。

 むろん、私も実証派の学者であるから、現場も本社も問題山積であることは承知している。しかし、現場現物の洞察や産業経済の理論に基づかぬ悲観論は何も生まないのである。

「現場現物の理論・実証に裏打ちされた」のイメージを持ちながらザっと読んだ感じでは、複雑なものづくりの歴史的変遷を、比喩というかアナロジーというか、を使って説明しているところはわかりやすいと思いました。例えば、擦り合わせ型(インテグラル型)と組み合わせ型(モジュラー型)、オープン・アーキテクチャとクローズド・アーキテクチャ、重さのある地上(通常の製造現場)と重さのない上空(GAFA)それをつなぐ低空(GE、IBM、シーメンス)の三層構造、などなど。

時系列的には、1950年代~2010年代の日本の産業経済を、現場発の視点から次のようにまとめています。

(p281)
①1950~60年代

冷戦前半の高度成長期は、労働力不足のなかで長期雇用・長期取引が選択され、それが多能工のチームワークという、のちの日本型・調整型・統合型の現場の強みにつながった。

②1970~80年代

冷戦後半では、成長が鈍化し円高が進むなかで、現場は能力構築を続け、結果として多くの貿易財現場が競争力を発揮し、貿易黒字が定着した。

③1990~2000年代

ポスト冷戦期は、中国という超低賃金人口大国の突然の世界市場参入に対応できず、またほぼ同時に起こったグローバル・デジタル情報革命の影響も受け、日本の貿易財現場は苦戦したが、それでも能力構築を続けた。国内現場の閉鎖もかなりあったが、他方で多くの統合型の現場が、主に複雑な擦り合わせ型製品の領域で存続した。

④2010年代

中国の賃金高騰が一時の現象でないことがあきらかになり、世界のものづくり現場は「グローバル能力構築競争」の時代に入った。ポスト冷戦期の苦闘の中で「裏の競争力」を高めていた日本の良い現場は、賃金ハンデが低下したため、「表の競争力」でも浮上してきた。

この時代分析もわかりやすいと思います。で、今後は、グローバル能力構築競争の時代だと。それには「固有技術」と、それを市場につなぐ「ものづくりの流れ技術」との高度な両立が必要だ。そして、「グローバル指向」と「現場指向」を同時遂行する必要がある、と説く。頻繁に出てくるフレーズは、

付加価値の良い流れをつくる、

設計情報の流れ

現場の流れを改善し、流れを改善できる人材を育てる、

ものづくりとは市場に至る「良い設計の良い流れ」をつくることである、

現場の組織力とは、良い流れを安定的に実現する多数のルーチンの束である、、、。

キーワードは「流れ」です。

製造現場で、ものづくりの流れをつくることがグローバル能力構築競争に重要だ、という主張に異論はありません。トヨタ生産方式で最も重視されているのも流れです。生産現場で流れを表現するのに用いられる指標はリードタイム。最も一般的なものは投入から完成までの生産リードタイムです。生産リードタイムの短縮が常に改善テーマの上位にあるのも流れ重視の表れでしょう。

生産リードタイムは付加価値加工時間(正味加工時間)、運搬などの非付加価値作業時間、滞留時間(工程間で次の作業を待っている時間)などに分けられます。その中で最も長いのが仕掛、在庫状態にある滞留時間であることはよく知られています。

藤本教授は生産システムの流れを分析するとき、ご自身の発案である「設計情報転写論」を使うことが多いようです。本書でも「設計情報転写論」で説明をしているところがありますので以下に引用します。

(p185)
第二に、「物的労働生産性」への正しい理解である。これをさらに、設計情報転写の速度と密度に分解する。私は「生産」という活動を「設計情報の転写」と考えるが、その生産の物的労働生産性は、転写の速度と密度の掛け算で決まる。ラインの物的労働生産性を高めるといえば、転写の速度(たとえばラインスピードのアップ)に意識が向かいがちになるが、それは常に密度との掛け算である。密度とは実労働時間にたいする付加価値作業時間(=設計情報転写時間)の割合で、「正味作業時間比率」と呼ばれることもある。トヨタ生産方式の大野耐一氏が大事にした数字であり、トヨタ系の生産ラインではかなり頻繁に測定されている。

 詳細は後述するが、海外の工場のみならず、日本の生産現場でも、この「情報転写速度」は驚くほど低い。測定精度にもよるが、数字で表せば10パーセント以下である(最高といわれるトヨタの組立ラインでも、50パーセントよりずっと低いといわれる)。したがってこの部分を改善できれば、ラインの物的労働生産性はまだまだ向上する。

 物的労働生産性=設計情報転写の速度×密度。これは、ものづくりの基本公式の一つである。速度は大抵生産技術や標準作業分析で決まるが、それを所与としたとき、密度が仮に5%から20%、つまり4倍になれば、物的労働生産性も4倍だ。これは恒等式である。現在の各工場の正味作業時間比率のレベルからみるなら、物的労働生産性を現在の2~5倍、あるいはそれ以上に高める余地のある現場は、まだまだ日本にたくさん存在するというのが私の実感である。

ここでは、物的労働生産性で設計情報転写の速度と密度について説明しています。意見交換で藤本教授からこんな説明がありました。

さて、ご質問の件ですが、生産とは、設計情報の転写であるというアイディアは、三菱総研で産業調査をやっていた1980年代前半の思いつきで、現在もこれがものづくり経営学の中心概念となっています。

その後、1984年に大野耐一さんから長時間お話を聞く幸運を得ました。この時に、リードタイムに占める付加価値作業時間(正味作業時間)の比率(私の言葉で言えば受信密度)は 200分の1 (0.5%)なら上等、平均すれば2000分の1 (0.05%)、それ以下はさすがにだめだとお聞きして、そんなに低いのかとびっくりしました。これは、トヨタ流の「ものと情報を流れ図」の下のほうに出てくる時間流れ図ですが、計算上は、ご指摘の通り、この数字が10倍になれば、リードタイムは10分の1になるわけです。非受信時間の大半は在庫時間ですから、これはジャストインタイム思想の基本になる計算式と言うことになります。

発信側の設計情報転写密度は、大抵10分の1以下だと言うことでした。例えば、私たちと連携して改善活動やっている電子回路工業会では、改善前の現場の発信側転写密度は平均7.5%でしたが、改善後は平均15%になり、物的労働生産性は計算式通り約2倍になったそうです。トヨタの組み立てラインはおそらく密度が世界最高レベルですが、それでも25%位と聞きます。残りは、付随時間(歩行時間等) 50%ぐらいとムダ時間(手待ち時間等) 25%ぐらいと聞きます。

こうした設計情報転写密度の低さが、「改善に限りなし」の信念に対する計数的根拠となります。根性論ではないわけです。

三段落目は発信側の設計情報転写密度の説明ですが、二段落目は受信側の転写密度の説明です。発信側と受信側の違いは、

発信密度=正味作業時間÷実労働時間

受信密度=正味作業時間÷リードタイム

となります。

藤本教授との意見交換にもあるように、流れが悪いのは受信側で、平均すれば2000分の1。非受信時間の大半は在庫時間だ、との見解も世の常識と一致。なんですが、「現場から見上げる企業戦略論」の中には、発信密度の説明はあるんですが、受信密度の説明がないんです。(読み落としがあるかもしれません。お気づきの方がおりましたらぜひ、「受信密度のことなら□□ページにかいてあるよ」とご一報いただければ幸いです。)

「流れ」がキーワードで、その流れを阻害する大きな要因が在庫時間、つまり滞留時間だと知りながら、受信密度の説明がない。どうしてなんでしょう?

在庫時間が長くなる要因はさまざまです。例えばロット生産(まとめづくり)ではロットサイズや運搬回数などで在庫時間は大きく影響を受けます。但し、ロット生産の場合は在庫時間を比較的簡単に計算できます。一方、1個流し生産では稼働率に対して在庫時間が指数関数的に変化し、かつバラツキが大きく計算ができません。流れが不安定になり、製造現場で混乱が起きやすくなります。

昨今の生産現場は、ロット生産が主流の工場もありますが、ロット生産との併用も含めて、流れ生産が主流になってきています。だから、「流れ」に注目した「現場から見上げる」視点に異論はなく、むしろ期待してました。でも、現場の流れに最も大きな影響を及ぼす受信密度についての言及がないことは、本書企業戦略論の立ち位置が現場のどこなのかあやふやである、という印象を免れることはできないのではないでしょうか。

愚見をまとめると「現場から見上げる企業戦略論」は

*現場現物の理論・実証に裏打ちされた、日本の産業・企業に対する「慎重な楽観論」

ではなく、

*現場現物の洞察や産業経済の理論に基づかない「根性論」、、いや「悪観論」(造語ですいません)

である、といったら、叱られるでしょうか? 誰に・・・?


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